それにしても、
リンカーンとダウンタウンDXの収録時期というか
放送時期は微妙にずらせないものだろうか。
ダウンタウン、特に松本のアベレージそのものが
下がってるってのもあるけれど波が激しすぎる。
面白い時はそれでいいんだけど、酷い時は
「これもう終わりじゃね?」ってくらい末期だったりして
それがそれぞれ単独であるならまだしも
収録時期が重なってる(仕事入れる日時が近い)かして
リンカーンが酷い時とDXが酷い時とが、
点と点を1本の線で繋げてしまう。
今週とか特に酷かったなあ。
リンカーンじゃ「黄金の犬」って映画タイトルに触発されて
「うちの犬も黄金出すけどなあ」みたいなギャグ言ったりさ。
DXじゃしつこいって言われるくらいに
ディナーショーネタ被せ続けたり。
それはそうと本題、09.11.12放送のダウンタウンDXの話。
個人的にすごい引っ掛かる部分があって。
テリー伊藤がね、最近のラッキョウは甘いのばっかりだと怒って
「最近は食べ物がなんでもかんでも甘くなりすぎている。
これは日本文化の崩壊だ。」みたいな発言してて。
たしかに食べ物がなんでもかんでも甘くなってきてるってのは
言われてみれば確かにその通り、
「あ、言われてみれば確かに…」って気持ちにさせられたんだけど
それを「日本文化の崩壊」に繋げるのは
なんか聞いてて凄い嫌だなって気持ちになった。
普段電波芸者としてテリー伊藤がやってることを
横に置いといたとしても
番組内でのそれまでの言動が
その「日本文化の〜」発言はおかしいって思わせる。
この発言が行われる1コーナー前に
「有名人オススメグルメ」みたいなのがあって
そこでテリー伊藤は小さいころから食べてた
焼売定食紹介してたんだけど
そこで「この焼売食べて育ったから
大人になってよそで焼売食べた時に
「これが焼売?」って思わず笑ってしまった。
それくらい段違いにこの焼売定職は上手い」みたいなこと言ってて。
ご飯とお味噌汁とちょっと大きめの焼売5〜6個で
800円と「高けえ」って気にさせられたんだけども。
たとえば、
この大きめ焼売が今巷にあるような、それこそテリー伊藤が
笑ってしまうって言ってる焼売を駆逐したとして
それをテリー伊藤は「日本の文化の崩壊だ」と言うだろうか?
料理が甘いのばかり増えてくのは、
多用性がなくなるのはそりゃ問題だろうけど
みんながおいしいって思う味に傾っていくのは、
それは「進化」や「改良」じゃないだろうか。
酸っぱいラッキョウを人工調味料だなんだとか理屈並べて
「甘くないラッキョウとかちょっと笑っちゃった」という人がいるかもしれないし
逆に大きめの焼売が広く市民権を得た世界で
「こんなの焼売じゃねえよ焼売ってのはもっと小さくってだな…」
とか言う“食通”が出てくるかもしれない。
あくまでも1個人の好みってだけじゃねえか、と思う。
多様性がなくなるのを嘆くのは正しいだろうけど、
単に甘くないラッキョウがなかなか見当たらないってだけの話じゃん、
それを日本の伝統文化の崩壊だみたく広い話にするのはどうなのかと。
別にそこまで考えるほどのことじゃないけど
なんか書いておきたいって思ったのは
テリー伊藤の発言自体に引っ掛かったってのもあるけれど
中尾彬との“食通”トークがすごくうざかったから。
ああいう、上からのわかった風なトークが
絶対的正義みたく受け止められるのはとにかく嫌だ。
「岩のりを食え、味付けのりなんて世界で1番まずいものだ」とか。
何言ってんの? と。
味付けのりうめえし、と。
しょせんは単なる1個人の好みの問題。
冒頭で挙げたダウンタウンの劣化についての話だって
それはしょせん僕が感じてるだけのものであって
今の方がわかりやすくて面白いみたいな意見もあるだろうし
それも「その人にとっては」で間違いじゃないはずだし。
だからああいった“食通”さんの意見が絶対的正義、
「本物/偽物」の基準みたいに
世の中の人には受け止めてもらいたくないって思うんだけどなあ。
しょせんは単なる1個人の好みの問題なのだから。
中尾彬の隣に座ってたグラドル枠の女の子が
最初の頃は他のゲストから無茶ぶりされた時に
中尾彬に頼ってたのに
“食通”が頭から否定しようとも「いや、味付けのりはおいしい」って
反論してたのは、
そして微妙に不穏な空気になりかけたところを
松本が「やめてぇええ」ってギャグで救ったのは
そこだけは見てて面白いと思った。
調べてみたら
中国の反日事件の時に画像貼られて話題になった子だって。
色眼鏡で見ちゃうとこがあったけど偏見なくなったというか
「自分持ってる芯のある子なんだな」ってちょっと好感持った。