「蟹工船」ブームについて触れるなんて今更な気もするけれど
どうしても気になることがあったので。
このブーム以降蟹工船って偽物の文学みたいな扱いされてない?
たしかに僕も今の蟹工船の支持のされ方には懐疑的なところはあるよ。
懐疑的というか「それケータイ小説とおんなじじゃね?」って気持ちが。
それこそ普段本読まないような女子中高生が
「あたしもヒロみたいな王子様とラブラブになりたい」だとか
「どんな逆境でも美嘉のようにくじけないあたしは悲劇のヒロインよ」ってな具合に
ワンワン泣いてケータイ小説ってジャンルに金落としていったのと同じように
「ワーキングピュアな俺も蟹介(イメージ)と同じ境遇じゃないか、こんな社会間違ってる!!」とか
「蟹美(イメージ)かわいそう、わたしもいっしょだわ」って
似たような形式で感情移入していった
その結果がこの蟹工船ブームなんじゃないのかって。
本当はまったく繋がってないのだけれども僕としては
「西洋ワサビにつく虫は“これが一番甘い”と思っている、蓼食う虫も好き好き。
なのに文明人・文化人を気取った連中が
この現状を見下し、鼻で笑い、あるいは嘆き
最後には「ケータイ小説なんて読むもんじゃない」と無理やり奪い取って
本棚でほこりをかぶってるような文学大全をその手に押し付けたその結果
若者たちは蟹工船でケータイ小説することになったんだ」
ってことにしていた。
実際のところはケータイ小説読んでる人らと蟹工船読んでる人らはまったく重なっていないのだろうけれど
そっちの方が皮肉効いてて面白いから僕はそんな風に解釈してる。
ここからが本題。
蟹工船に感情移入するのが悪いことだとは別に思わない。
誰だって、ましてやどん底にいると苦しんでいる人たちが
なにかに救われるというのはむしろいいことだ。
ただそれがみんなみんな「蟹工船を読んで救われました」は
「泣きながら一気に読みました。」って触れ込みで
泣ける泣けるとケータイ小説等がブームになったように
「蟹工船と自分の境遇があまりにもそっくりで共感しました」って
なんか同じような流行というか一定の文脈が出来てて
それがケータイ小説とダブって見えてくるってのがどうかなって思うだけで。
まあそもそもブームが生まれた背景からして
それがはじめから目論まれてたんだろうけれど
サヨクというか、まあ色々うるさそうな人たちに
共産主義だとか勃ちあがれ労働者だとかに
蟹工船ブームが利用されだして。
そしたら今度はケータイ小説(笑)って言ってたような層がたくさんいる感じの
ウヨクというか、まあ常に喧々囂々な人らが
「そもそもネカフェ難民と当時の労働者とでは全然違う」とかの
読み手批判だけにとどまらずに
「小林多喜二は本当はそこそこいい暮らししてたから
底辺の労働者の気持ちはわかってない」だとか言いだして。
そういった本そのものへの批判が原因なのか
まっすぐに歩けない人ら同士がじゃれあう政治的な道具になったからなのか
そもそも恋空やセカチューみたく読んでしまう若者にブームになったのか
どこが出発点なのかはわからないけれど
いつの間にか「蟹工船は実際たいしたことない文学」的意見が
けっこう見られるようになってきてる。
「もっといいプロレタリア文学ならいくらでもある」だとか。
あるあるの納豆騒動思い出す。
あれもブームになって一時期は品切れ状態が続いたほどだけど
痩せる効果がねつ造だとわかった途端に
今度はまるで有害食品でもあるかのように誰も買わなくなってしまった。
蟹工船もインチキくさい文化人によって
ブームにさせられて、結果偽物みたく言われだして。
納豆騒動は僕がそれしか思いつかなかったからでしかないけど
たぶんもっといい例もあるはずだろう。
別に蟹工船を読んでみたいとは思わないし
一応理系だから本物か偽物か見分ける力なんて皆目持ってない、
だから僕自身が蟹工船がどうだという意見を持つ資格はないんだけれど
1つ思うのは
いつまでこんなマッチポンプ的な手のひら返しが続けられるんだろう。
それはなんかすごくくだらないと思う。
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